ULからUへC


すぷ兄から送られてきた超レアレアな部品も越船プロジェクトに投入です。
当時のハーレーさんもダビッドソンさんも
70年後この極東の地でこんな楽しみ方をされているなんて
想像してなかったはずでしょう。当たり前か♪



すぷ兄から格安で譲り受けたのは
1936年から1940年までの
わずか5年間しか採用されなかった
超レアレアなクラッチキットでした。
クラッチキットの当時写真。

1941年以降のクラッチよりも数センチほど薄いので
「ナロークラッチ」って呼ばれています。
1941年に1200ccのFLを登場させるにあたり
高排気量の高出力エンジンに対応できる
強力なクラッチを開発する必要がありました。
そして当時ハーレー技術者の苦労により
クラッチ板を5面から7面に増やした
新型クラッチキットを開発。
摩擦面積を65%と大幅に増やすことに成功しました。
クラッチシェルが厚くなった分だけ
アウタープライマリーケースも厚みを増しました。

左が1940年までのナローケース。
右は1941年以降のケースでちょっとだけ厚くなってます。

新型クラッチは高性能で完成度が高く
1980年代までほとんどカタチを変えることなく
採用された実績を誇ります。
新型クラッチは1930年代車両にも
問題なく装着できるのに
なぜに旧式のナロークラッチにこだわるのか?

それはこの1940年までの
ナローアウタープライマリーケースを装着したいから♪
このためだけですw
BREEZE服部師も
存在価値のあまりないナロークラッチを扱うのが
今回はじめてだそうです。

ちょうど入院していた焦げパンの
メインシャフトを拝借して検証してます。
「焦げ」と「錆び」の見事なコラボレートw

ベアリング類の部品待ちで
クラッチ周辺はとりあえず保留になりました。
その間に他の部品に着手。

フロントフォークの再塗装です。
自分好みでないパウダーコートを剥がします。

フロントレッグとリアレッグはバラバラに集めたので
黒の色合いと光沢に統一感がありませんでした。
ハンドルバーとTバー、センタースタンド
クラッシュバーもフレームと一緒に塗りなおしです。
同じ時期に
同じ塗料で
同じ人に
同じスプレーガンで

塗ってもらうことで
レストアバイクにありがちなチグハグ感をぬぐう魂胆♪
フロントレッグは1948年まで共通の品番。
ですが製造時期によって実はカタチが違います。

製造年を判断するひとつの指標が刻印されています。
「6」なので製造は1940年前後ってところでしょうか。
1930年代の緩やかなカーブから(上の線)
1948年頃のスクエアな曲がり方へ(下の線)
アーチの描き方が変化していきます。
リアレッグの見分け方は
過去に整備記録でアップしているのでここでは割愛。
>こちらから
謎のハンドルバーもすっかり裸に。

このハンドルバーの正体について
マニアな諸先輩方の意見を集約すると・・・

1930年代のサイドカー用の純正ハンドルで
角度が極端に上を向いてしまった失敗作という説が濃厚w
当時は職人の手作りなので
個体によって角度にバラツキがあるようです。
萌えます♪

クラック発見!
パウダーコートで隠れてました。

当時部品にはこういうリスクが常につきまといます。
肝心のエンジンのほうは
無事に内燃機屋さんに発送されました。
+030のピストンにあわせてボーリング。

復活は今のところ来年4月頃になる見込みです♪



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