Meguro




目黒製作所とは ウィキペディアより引用


初めは「鈴木鉄工所」と称し海軍軍人だった鈴木高次が1925年に設立、村田延治が後に参加した。
1926年から「目黒製作所」を名乗るようになった。株式会社となったのは1939年である。

初め、自動車修理とオートバイ(トライアンフ)の部品製作を行い
1932年にエンジンの製作を開始、1937年に最初のメグロ号 Z97を発売し好成績を残した。

第二次世界大戦の激化とともにオートバイ事業は中断、航空機の部品を製作するようになった。

戦後は再びオートバイ事業に戻り、最盛期の1959年には市場での人気を得た「メグロ S3」など
250ccシリーズと、500cc「メグロ Z7(500cc単気筒)の好業績により
年間15000台のオートバイを生産し
第2回の全日本オートバイ耐久ロードレース(通称浅間火山レース)セニアクラスで
メグロRZが1位、2位、4位、5位を独占するなど活躍したが
メグロ セニアT1(650ccバーチカルツイン)などの大型車を得意としていたことから
小型車ブームに乗ることができず、ホンダ等の戦後派メーカーに押され業績が悪化した。

1960年に川崎航空機工業(現在の川崎重工業)と提携したものの業績は上向かず
1963年には傘下となって「カワサキメグロ製作所」と改名
1964年についに事実上の倒産となり川崎航空機工業に吸収され
これで戦前からのオートバイメーカーは全て消滅することとなった。






メグロ ジュニア S8型 1964年製造

スペック(当時資料より抜粋)・・・

エンジン 空冷4スト 単気筒
内径×行程 65×75mm
総排気量 248cc
圧縮比 7.0:1
最高出力 13.5PS/5400rpm



1950年(昭和28年)に日本初の250ccバイクとして登場したメグロ「ジュニア」の後継モデル。
S7の仕様に最高傑作 S3の外装関係を踏襲したシリーズの集大成とも言えるモデルとなった。



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